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RCCラジオでオールナイトニッポン0(zero)が始まる/1989年鴻上尚史ANN最終回のエンディング

1989年鴻上尚史オールナイトニッポン最終回のエンディング

鴻上尚史オールナイトニッポン最終回 ラスト30分の進行表(同録聞きながら書きました)

平成元年春・鴻上オールナイトの最終回の生放送は、広島RCCラジオにダイヤルを合わせて、呉の実家二階の勉強部屋で聞きました。

昨日お昼に何を食べたかパッと出て来ない令和五年春の現在ですが、34年前の部屋の様子・勉強机に置いたラジカセのボタンの手触りや本棚に収めた文庫本の並びなんかはわりと思い出せるので、冴えないオツムが当時をピークに30年かけていよいよ絶望的とがっかりしています。

 

それはさて置いて、1989年3月31日25時〜27時。中二の終業式はこの前の週。3月14日の誕生日で14歳になったばかりでした。平成元年の春休みをエンジョイしていました。

この最終回で胸を熱くした・心を揺さぶられたのはラスト30分のパートです。オフコースYES-YES-YES」をバックに鴻上さんがリスナーのペンネームを次々と読み上げながら、「言葉にできない」BGクロスフェイドで過去回切り出しの完パケ。そして「ラジオ・デイズ」からのブルーハーツ「ラブレター」。エコーズの「ONEWAY RADIO」。どんどん畳み掛ける構成でリスナーを泣かせにかかっており、田舎の純情な14歳は、まんまと目頭を熱くしたわけです。

術中にハマって丑四つ時にラジオの前で涙した=最終回にグッときたのは、呉の純情な中学生だけではありません。

このオンエア後、月刊ラジオパラダイス「パーソナリティ人気投票」は鴻上さんの順位が急上昇。初めてトップに立ったことがこの最終回の反響の大きさを物語っています。(ラジオパラダイス綴込みのハガキで参加する読者投票。小森まなみさん*1コサキンが毎号首位を争っていたところにトップ10圏外から鴻上さんが割って入って二強を抑える快挙でした。)

最終回の放送25時の時報明けは、いずみたくシンガーズ「帰らざる日のために」でスタートしました。担任教師がホームルームで離任の挨拶をする学園コント → タイトルコール → ビタースウィートサンバの流れです。このオープニングが感動のラスト30分の布石になっています(たぶん)。

  • リスナーのペンネームを次々読み上げる
  • 過去の放送回切り出し
  • お別れの手紙「ラジオ・デイズ」を披露
  • ONEWAY RADIO フルコーラス
  • 「泣かないように負けないように いい夢をみるんだよ」毎回お決まりだったフレーズを「みてください」に変更

ラスト30分は「最後の点呼」「教室の思い出のアルバム」「旅立つ先生の手紙」「残された生徒」を道具立に、冒頭と同じく学園ものの流れと理解しました*2。そして時間管理のちょっとしたポイントについても見当がつきました。

  • 2時55分00秒(26時55分00秒)ONEWAY RADIO エアプレイスタート
  • 松島さんが読んだ後クレは事前収録っぽい
  • 空スタートのブルーハーツで時間調整し、2時51分00秒(26時51分00秒)CM入り
  • ラジオデイズのパートは最大12分間まで対応できる
  • ペンネーム読み上げに入るまで時間が押しても切り出し完パケパートで調整ができる

CM(20秒 6〜8本)+αでステブレ180秒と仮定して便宜的にタイムカウントをうちましたが、後クレのタイミングを考えると、2時55分00秒確定 ONEWAY RADIOからの逆算で時間管理をしていると見ました。

例えば原稿の分量からだいたい11分前後の尺を想定しているけれど、押す・巻く両方の可能性がある=時間の幅ができるラジオデイズのパート。鴻上さんが読み上げる文脈と関係なくブルーハーツがフェイドインしているので、2時50分30秒に完奏するよう機会的に再生を始めた=ラブレターはラジオデイズのパートを確定時間に終わらせる役割を担ったと思います。

構成の意図は、「ラジオデイズを読み終えた後にフリートークをさせたくなかった」ずばりこれだと思っています。「ありがとう」を繰り返してお別れした後にフリートークは蛇足。後クレを松島さんに任せてまで鴻上さんをラストまで再登場させない → 「いい夢をみてください」に変えたいつものフレーズがより胸をうちます。

しかしRCCラジオでは、2時58分57秒(or 2時57分57秒)ONEWAY RADIO間奏フェイドアウト → ステブレ → 走れ歌謡曲。飛び降りのため、鴻上さんの最後の言葉「泣かないように負けないように いい夢をみてください」を聞くことができませんでした。

ONEWAY RADIOの間奏フェイドアウトで終わった最終回を聞いたリスナーは、RCCラジオの聴取エリアだけでもおそらく数千人。そのうちの熱心な一握りの人が、ラジオパラダイス6月号*3を読んで、ONEWAY RADIO完奏 →「いい夢をみてください」で終わっていたことを知ったという感じでしょうか。

 

RCCラジオでオールナイトニッポン0が始まる

オールナイトニッポン0のネット局にRCCラジオが加わると聞きました。半世紀近くも「25時オールナイト1部〜27時走れ歌謡曲」だった広島深夜の編成が「25時オールナイト1部〜27時オールナイト2部」へと変わる大事件です。

広島の民放AM局はRCCラジオがあるだけです*4。栃木もCRTラジオしかないけど在京局の電波がガンガン届くとか、和歌山もWBSラジオしかないけれど在阪局バリバリの聴取エリアみたいなこともありません。そのため、LF・KR・QRの番組が入り交じる編成になります。たとえば1989年平日のある日JOER・1350kHzに合わせると、朝は榎さんのおはようさん(TBS)〜歌のない歌謡曲〜おはようラジオ(RCC 橋本雅明さん)〜宮崎美子のいい朝トキメキ(文化放送)〜日産フラッシュジャーナル(ニッポン放送)〜日本全国8時です(TBS)〜十朱幸代のいってらっしゃい(ニッポン放送)で始まり、夕方はニュース・パレード文化放送)〜ホンダ・イブニングダイアリー(TBS 若山弦蔵さん)〜小沢昭一的こころ(TBS)〜ニュースハイライト(TBS)。夜はびしびしばしばしらんらんラジオ(RCC)ハコ番組におねがいチェッカーズニッポン放送)と、杉山清貴ロッテリアサウンドウェーブ(TBS)。上ちゃんの*5HITACHI FAN FUN TODAY(ニッポン放送)〜大友康平 SCHOOL'S OUT(文化放送)〜あっちゃんのSay春ing(RCC 西田篤史さん)〜ぽっぷん王国(ニッポン放送)〜オールナイトニッポンニッポン放送)〜走れ歌謡曲文化放送)といったタイムテーブルです。

 

わが家はRCCラジオがよく流れる家=台所仕事をしながら母は橋本雅明さんとウルトラマンタロウを歌ったり*6、コント小咄*7に笑ったり。カーラジオから流れる小沢昭一さんに父はクスっとしていたので、RCCラジオが唯一のラジオ=AM・FMの周波数とか放送局の別をこえたところでRCCラジオこそが唯一のラジオでした。

では、NHKラジオ体操の発信元はどこだと思っていたのだろう? ということはさて置いて、RCCラジオを固有名詞ではなく、広く一般名詞としての「ラジオ」ととらえていたのはさすがに小学生まで → 中学に上がりNEW HORIZON*8教材カセットが校内販売 → AIWAのラジカセを買ってもらう → ラジオの深夜放送に興味をもつ → 月刊ラジオパラダイスを定期購読 → RCCラジオ以外にも放送局がたくさんあることを知る → 都会では民放AM局を選んで聞くことを知る → RCCラジオはニッポン放送・TBS・文化放送の番組が入り交じる編成だったことを知ったというわけです。

*1:小森まなみさん=東海ラジオ mamiのRADIかるコミュニケーション。当時当然気になって1332kHzに合わせてみたんですが雑音ばかり。呉からは受信できず諦めました。木根さんのSFロックステーションは雑音まじりながらも何とか聞くことができたんですが。同じく名古屋CBCラジオ小堀勝啓さんもランキング上位の常連で、わ!Wideとにかく今夜がパラダイスの1053kHzにチャレンジしましたがやはり雑音に阻まれて断念。でももしも受信できたとしても、同時間帯びしびしばしばしらんらんラジオだったのでRCCラジオ一文字さんを聞いていたと思います。

*2:学園ものの流れ=でもこれは独りよがりなこじつけで、最終回にやっておく内容をならべたら普通こうなるよねって冷静に思ったりもします

*3:ラジオパラダイス6月号=鴻上ANN最終回の特集記事が組まれ、ラジオデイズ全文などが掲載されました(グッバイ最終回特終 鴻上尚史オールナイトニッポン pp28-30)。国会図書館で閲覧やネットでの遠隔複写申込ができます。

*4:広島の民放AM局はRCCラジオのみ=AM送信施設の更新を機に、全国の民放AM局は2028年FM転換(AM停波)の計画をすすめています。RCCラジオは2025年秋に「転換」の実証実験を予定しているそうです。広島のAM民放局は今後も新設されることなく、RCCラジオだけだったで歴史を終えそうです。

*5:上ちゃん=上柳昌彦アナウンサー

*6:橋本雅明さんとウルトラマンタロウRCCおはようラジオはスポーツニュースを扱うスポーツレーダーのコーナーがあります。カープ戦中継のダイジェスト音声で試合を振り返り、カープ勝利=パーソナリティ橋本雅明アナウンサーが、ウルトラマンタロウ主題歌をワンコーラス自ら歌うというのがお決まりでした。家族でカープ観戦の際、ご子息がウルトラマンタロウを歌い始めたのが事の始まりと聞いています。ちなみに「びしばし」でアルバイトをしていた大学生のころ、おはようラジオで使うカープ戦ダイジェストを何度か仰せつかりました。「びしばし」スタンバイの傍ら、ゲームのポイントっぽいシーンをいくつか抜き出してオープンリールに録音。ザラ原にキャプションを書いて、おはようラジオを放送する第3スタジオに置いて帰るみたいな感じだったと思います。

*7:コント小咄=RCCラジオ サテライトNo.1の人気コーナー。パーソナリティは柏村武昭さんと林竹洋子さん。

*8:NEW HORIZON=呉市立昭和中学校で採用された英語の教科書は東京書籍のNEW HORIZONでした