うろ覚えですが*1昭和56年「悲しみは雪のように*2」レコードジャケットは広島駅近くで撮影とのこと。広島駅が雪化粧した日に呉線の車窓を眺めながら思い出したことがありました。
およそ40年前とは言え、そしていかに浜田省吾さんであろうとも線路内への立ち入りはご法度のはず。もしも本当に撮影スポットが広島駅周辺だったとして、撮影ができそうな場所で浮かんできたのが「愛宕踏切」でした。実際どうだったんでしょうか。田島照久さーーん おしえてくださーーーい。*3
…ほんとすみません。肝心の愛宕踏切は写真の位置から150mほど手前。たしかに踏切でシャッターきったんですが、ブレちゃって残念な写真になってしまいました。
hiroshimaphotography.tumblr.com
2019年2月22日15時38分ごろ愛宕踏切。エキシティと結ぶべく横断歩道橋の延長工事をしていました
Google Earth 愛宕踏切の上空。周辺はかつて宇品線の安芸愛宕駅があった場所。広島駅に0番ホームの名残りを見つけることができるように、宇品線の痕跡が廃線*4からおよそ四半世紀の今でも南区内に見つけることができます*5。現在は失われた宇品線の関係のものが1981年にはまだ残っていて(南蟹屋〜段原〜宇品の線路は90年代まであったので)、そこが撮影スポットだったのかなあと考えたりもしました。広島操車場のあたりだったとしたら、今はマツダスタジアムが建っていますので、撮影スポットの特定はかなり困難。でも、こうしていろいろ考えるのは楽しいですねえ。