Hiroshima Photography

SONY サイバーショット HX30V でとった広島の写真 ツイなま シンタニの備忘録

きんさい屋と十軒屋陸橋と東新開 広島市南区東雲本町 国道2号 2021年12月26日

12月25日オープンきんさい屋 広島市南区東雲本町 

大掃除をサボって東雲を散歩しました。的場町から大正橋を過ぎたら段原3丁目〜4丁目。平和橋を境に段原日出1丁目〜2丁目。お散歩のルートは猿猴川西岸をとにかく下流方向へ。東大橋からは上東雲町。日本バレル工業のあたりから東雲1丁目。そして東雲3丁目渕崎公園でひと休み。出発から50分歩きました。ここから猿猴川は仁保を流れて広島湾へと注ぎます。

てなことで、リバーサイド流下ルートはここでおしまい。仁保の交差点から国道2号を西の方向へ歩く歩く。本浦交番の交差点から東雲本町。十軒屋の陸橋からは霞です。東雲本町と霞の町境界で「きんさい屋」というお弁当屋さんが看板を出していました。昨日25日にオープンしたそうです。開店おめでとうございます。大掃除をがんばるみんなのお昼をこちらでお願いしました。

大正橋から猿猴川西岸〜国道2号を歩いて東雲本町

手渡されたお弁当はなかなかのボリューム。このみっちりとごはんが詰まった感じには覚えがあります。その景色はここから西へ3km・90年代半ばの千田通りです。千田町2丁目交差点にあったポプラのお弁当。そのポプラでは経大の友達が深夜ワンオペ勤務のアルバイトをしており、一番安い唐揚げのお弁当やカレー弁当をレジに持って行くと、フタが浮くほど大盛りごはんをよそってくれたあの感じです。「ポプ弁」の思い出と勝手に重ねてしまい、きんさい屋の方ご気分悪くしたらごめんなさい。

当時ぼくの下宿はポプラから歩いて3分。千田小学校の裏門近くで家賃1万6000円。共同トイレ風呂なし台所なしの六畳間でした。卒業で帰郷する先輩がくれたテレビデオとCDラジカセが唯一の家電。CDラジカセはパチンコで大勝ちした先輩が、祝勝会で酔っぱらった勢いに任せて贈ってくれました。その節はありがとうございました。もう長いことお目にかかっておりません。当時は先輩もぼくもまわりのみんな専ら外食で、びっぐの〜ず*1やドバイ*2が食卓でした。そうそう、びっぐの〜ずのカレーはたしか390円でごはん食べ放題。なかなかの食生活・東千田町ライフを懐かしく思います。

東雲周辺90年代の思い出もあります。東雲キャンパス学校教育学部の移転・教育学部との統合を知る世代です。同級生・同世代の友達は東雲本町や西本浦町に下宿していました。カレーのコンパ*3や東雲飯店*4で一緒にお腹いっぱい食べました。

2号線の吉野家*5に初めてうかがったのは高校1年・平成2年6月。NHK杯の県大会*6でした。当時大手町の広島局が建て替え工事のため、会場が西霞町の比治山女子に変更。わが呉三津田高校放送部もJRとバスを乗り継いで女子校の校門を初めてくぐりました。アナウンスや朗読を会場で披露する女子部員のみんなと違い*7、ラジオ・テレビの部門は出品してしまえば選考結果を待つのみなので*8、(1)会場を歩き回って名門私立の設備に感嘆する・(2)お昼ごはんは吉野家・(3)先輩の伝手で出汐のテレビ新広島を見学する=楽しい社会見学。当時も今も呉で吉野家の店舗は営業しておらず、「こんな機会でもないと」なので、部員みんなでカウンターを独占して食べました。ちなみに放送部の3つ先輩の41回生「ヤン先輩」は学校教育学部に籍を置いて東雲2丁目に下宿。この吉野家でアルバイトをしており、「牛丼二人前のオーダーは、二丁(にちょう)ではなく二丁(ふたちょう)と厨房に伝える」お店のお約束を教えてくれました。

NHK広島放送局写真, antenna アンテナ 呉三津田高等学校放送部55年史, 2005年

あれから30年。吉野家は外装が変わりました。学生相手の古いアパートはコインパーキングやマンションに姿を変えました。きんさい屋周辺一番の変化は段原中学校が移転してきたことでしょうか。この度の散歩は、中年の回想と町の新陳代謝を目にするものとなりました。BGMはiPhoneで「ザ・たこさん*9と、ザ・リーサルウェポンズ*10。学生時分に熱中したDr.Feelgood*11とか、ローラ・ニーロ*12で歩いたらもっと感傷的だったかもしれません。夜10時寝床につくと、ふくらはぎと足の裏がジンジンヒリヒリ。運動不足と衰え。寄る年波には勝てません。

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十軒屋陸橋 広島市南区霞町 - 東霞町 国道2号

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十軒屋陸橋 広島市南区東霞町 - 東雲本町 国道2号

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「じっけんやりくきょう」のプレートをご覧になって、頭の中で「十軒屋陸橋」と変換できるでしょうか。ぼくはできませんでした。

30年ぶり*13に十軒屋陸橋を渡りました。当時は陸橋の名前なんて気にかけておらず、この度初めて知りました。

昭和の終盤に差し掛かるタイミングで刊行の角川や平凡社の地名辞典を引くと、「東新開」に十軒屋の記載がありました。令和の御代の今、町並や地図からはすっかり失われ、この十軒屋陸橋と十軒屋稲荷神社(西霞町)に留めるのみとなっています。

東新開 ひがししんがい 古くは仁保島を冠称した。猿猴川右岸の低地上に位置する。南は仁保、西方には比治山。もとは猿猴川河口の干潟であり、西に隣接する西新開(皆実新開)とともに江戸期に拓かれた。地名は西新開に対する呼称と思われる。[近世]江戸期〜明治22年の新開地名。安芸国安芸郡のうち。広島城下新開組に属す。寛文3年藩の干拓事業として拓かれた。地詰が元禄12年に行われ、面積は東西両新開を合わせ268町にも及ぶ。その結果仁保島北側の干潟は消滅し、島は陸続きとなった。仁保島北麓の十軒屋は、元禄年間の比治山に営まれた御茶所からの眺めを良くするため蒲刈島から農家10軒を移したことに始まる(知新集)。角川日本地名大辞典 34 広島県, p663, 昭和62年

東新開 ひがししんがい 現在南区上東雲町東雲本町一 - 三丁目・東雲一 - 三丁目・霞一 - 二丁目・東霞町・西霞町

北東は猿猴川に対し、西は皆実新開、南は仁保島に続き、北は比治村・山崎新開に接する。仁保島村に属し、仁保東新開とよばれた。城下新開組に属した。

寛文二年(一六六二)藩により仁保島との間に築立がなされ、東新開、西新開(皆実新開)が開かれた。元禄一二年(一六六九)に地詰が行われ、「芸藩通志」では「東新開十軒屋」として高一二四五・九四五石、田畝一二三町六反余。明治三年(一八七〇)の郷村帳(「芸藩志拾遺」所収)では高一二六五・七〇四七石、うち除地二・九二九八石。「知新集」では竈数一五(本竈一四・借竈一)、人数一〇〇(男五四・女四六)。定住者は少なく仁保島の本浦・淵崎辺りより出作がなされ、綿栽培も広く行われた。仁保山麓安芸郡蒲刈島より農家一〇軒が移された辺りは十軒屋とよばれ、前方中堤の近くには鷺岩池があった(知新集)。大正五年(一九一六)東新開町と称した。日本歴史地名体系第三五巻 広島県の地名, p617, 昭和57年 平凡社

  • 十軒屋は元禄年間からの地名(知新集*14
  • 比治山・御茶所からの眺めを良くするため蒲刈島から農家10軒を移した=十軒屋の由来

ちなみに、十軒屋と似た由来・江戸時代からの地名は、白島九軒町広島市中区)、十九軒屋(福山市神辺町)、十三軒屋(同)などがあります。

白島九軒町 はくしまくけんちょう 江戸期〜現在の町名。江戸期は広島城下の武家屋敷地。広島城の北、京橋川右岸の郭内に位置する。九軒町とも称した。江戸前期の城下町建設に伴い、白島村のうちに成立。地名はかつて当地一帯に民家が9軒あったことに由来するという(知新集)。角川日本地名大辞典 34 広島県, p638, 昭和62年

十九軒屋 じゅうきゅうけんや 六間川の流域に位置する。地名の由来は、慶長年間19人の農民が入植したことによるという(高橋家文書)。角川日本地名大辞典 34 広島県, p436, 昭和62年

十三軒屋 じゅうさんげんや 神辺平野の中央部。地名の由来は、慶長年間13人の農民が入植したことによるという(高橋家文書)。角川日本地名大辞典 34 広島県, p436, 昭和62年

東新開

ひろしま地歴ウォーク 広島地理教育研究会、「広島町新開絵図」にみる浅野時代の広島城広島市郷土資料館

寛文二年(一六六二)、藩によって比治山と仁保島(現在の黄金山)を結ぶ大堤防が設けられ、三〇〇町歩余(約二九七ha)の土地が拓かれ、東側半分が仁保島東新開、西側が仁保島西新開と呼ばれました。

この干拓事業が行われる前、比治山の東側に比治村が、そしてその南に山崎新開が、西側には亀島新開と大黒村が拓かれており、町新開絵図にも描かれています。

東新開側については、現在の平和橋南詰から広島高速2号線に至るまでの猿猴川西岸がほぼ堤防の位置になります。さらに河岸と広島高速2号線と交差する辺りで堤防はやや南西に方向を変え、さらに国道二号の仁保交差点の所から西向きに変わり、そこから東本浦町二六番交差点にいたる道路が堤防の跡になります。「広島町新開絵図」にみる浅野時代の広島城下 pp26-27 描かれた新開地 (二)城下最大の干拓事業 仁保島東新開と仁保島西新開

仁保 にほ 邇保島・香島とも書いた(芸藩通志)。かつては太田川河口沖の島であったが、江戸期の新田開発により陸続きとなる。地名の由来は、水鳥の鳰(にほ)の意という(同前)。海岸には柞木・淵崎・日宇那・丹那・大河・本浦・向灘の仁保島七浦がある。「秋長夜話」に「七浦の内たんな・ひうな、又うじな、いづれもなだといふを音便にてたもじを略したるなり、唯むかひなだハ其ままに称しきたれり」とある。天文23年(一五五四)5月毛利元就陶晴賢の諸城を攻略、この時に仁保城も落とされ、仁保島は毛利氏の支配下となった。角川日本地名大辞典 34 広島県, p620, 昭和62年

尾長 おなが 尾長山・二葉山山塊の南麓に位置する。地名の由来は「知新集」に「むかし此処海辺にて地かたハ山の尾にそひて長々しきゆゑ」とある。また尾長山の名は沖を通る船が難破した時、ここに棲む大蛇の尾によって救われたとの寓話にちなむという(広島市コミュニティカルテ)。

[中世]安芸国佐東郡のうち。天文24年(一五五五)と推定される正月7日の白井越中守宛に大内義長感状(白井文書)に「同二日至佐東河内尾長」と見える。その後まもなく大内氏は滅び、やがて毛利氏領となった。

  • 「広島町新開絵図」にみる浅野時代の広島城下(広島市郷土資料館 2019年12月7日 800円)
  • ひろしま地歴ウォーク(広島地理教育研究会 2018年3月30日 997円)
  • ひろしま地歴ウォーク2(広島地理教育研究会 2020年10月28日 1200円)

企画展 変わりゆく広島 大下隆雄写真展の図録 広島市郷土資料館 2002年10月
  • 企画展 変わりゆく広島 大下隆雄写真展の図録(広島市郷土資料館 2002年10月 250円 → 260円に値上がりしたそうです)
  • 広島市郷土資料館の刊行物はおもしろい
  • 大下隆雄さんは南区在住の写真愛好家
  • 昭和30年代の仁保周辺の写真を中心に135枚が掲載
  • 昭和35年に黄金山から撮影された猿猴川右岸・東雲(東雲1丁目〜3丁目)の写真が掲載(p.17)当時の東雲は田畑ばかりで民家が数軒程度

広島にお住まいの方や、国道2号を流通のお仕事で行き来する方はご承知の通り、十軒屋・東雲周辺に大下隆雄さんが撮影した60年前の田園風景はもうありません。

れんこんまつり@東雲本町公園は、東雲でレンコン栽培が盛んだったことが縁起となっています

しののめ れんこんまつり 広島市南区東雲本町2丁目 東雲本町公園 2010年8月22日17時38分ごろ

十軒屋陸橋から仁保方向 2021年12月26日12時13分ごろ

十軒屋陸橋から出汐方向 2021年12月26日12時13分ごろ

 

*1:びっぐの〜ず 広島市中区千田町1丁目。後に大手町5丁目へ移転

*2:ドバイ 広島市中区千田町3丁目

*3:カレーのコンパ 広島市南区東雲3丁目

*4:東雲飯店 広島市南区東雲3丁目。現在は仁保2丁目へ移転

*5:吉野家2号線東雲店 広島市南区西霞町

*6:NHK杯の県大会 NHK杯全国高校放送コンテスト広島県大会

*7:アナウンスや朗読を会場で披露する女子部員のみんなと違い=当時アナウンス部門や朗読部門にエントリーする「アナウンサー」は女性ばかり。男で出場したのは覚えている限りで基町高校の子ひとりだけです。ちなみに当時県大会で上位成績を収める学校は、基町・安古市、そしてわが呉三津田でした。でも全国大会では振るいませんでした。

*8:会場ではエントリー作品が披露されています

*9:ザ・たこさん」=アルバム「名曲アルバム〜ザ・たこさん傑作選〜」と「タコの肖像」

*10:ザ・リーサルウェポンズ=アルバム「アイキッドとサイボーグジョー(初回生産限定盤)」ツイン怒号システム爆音ライブCD

*11:Dr.Feelgood Live in London(1990年)「ウィルコ ジョンソンのいないDr.Feelgoodなんて…」の声があることは承知しております。このライブアルバムをリリース直後に買った・このアルバムから入った後追いのファン・当時高校1年としては、リー リブローが亡くなる94年までのDr.Feelgoodこそが青春を彩ったバンド。「Live in London」は、新装ジャケット+7曲のExpanded editionが2013年にリリースされました。

*12:ローラ・ニーロ Walk the Dog & Light the Light(1993年)邦題「抱擁 犬の散歩はお願いね。そして明かりはつけておいて」

*13:30年ぶり 正確には1996年2月以来26年ぶり

*14:知新集 江戸時代 広島町奉行管内の地誌

*15:渋滞ワーストランキングのとりまとめ(平成27年速報)国土交通省 https://www.mlit.go.jp/common/001130029.pdf  、

国道2号:広島市内が渋滞2位 ワースト3県内独占 昨年区間別 /広島 | 毎日新聞 (2017年5月10日)

*16:平成27年度 全国道路・街路交通情勢調査 一般交通量調査表 広島県土木建築局道路整備課 https://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/325910.pdf