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ブラッシュアップライフ第1話「元気が出るテレビ」と「X」について 2023年1月8日

ブラッシュアップライフ第1話を見ました。人生2週目・33歳の記憶を持ったままベビーベッドで過ごす新生児の麻美ちゃん。目にしているのはブラウン管テレビが映す「天才たけしの元気が出るテレビ」。

元気が出るテレビ」懐かしかったので、思い出したことをメモにしました。

「日曜夜8時は独眼竜政宗。ケン・ワタナベ サイコー。柴田錬三郎の時代劇とか出てほしい。」大河ドラマを絶賛していたら、元気が出るテレビを録ったVHSをクラスメートの牧義孝くんがたくさん貸してくれました。…ごめんなさい。うそをつきました。1987年の中学生当時も2023年の現在も、渡辺謙さんをハリウッド俳優っぽく言ったことはありません。そして、のちの「御家人斬九郎」を予言するようなことも口にしておりません。

しかし独眼竜政宗を好んで見ていたことは本当で、その前年は「いのち」。さらにその前までは「オールスター家族対抗歌合戦」か「西部警察」だったので、元気が出るテレビは縁がなく、牧くんが録画したビデオで初めて見ました。欽ちゃんやドリフはもちろんのこと、ひょうきん族とも違う印象を受けました。知覚の扉が開かれた感じです。

「元気」の思い出で「X」は当然避けて通れないところ。87年・中1の目に映った「X」について。

突飛なメイクでステージに立つミュージシャン=お化粧ロッカーには忌野清志郎遠藤ミチロウ・デビット ボウイ・ボーイ ジョージなどの先達がいて、「X」は遠藤ミチロウスターリン直系と見ていました。

そんなバンドが、限られたファンとコンセンサスがとれるライブハウスの閉鎖空間を飛び出して、無関係な大衆の日常へ無遠慮にやって来る・ステージのルールを持ち込んでくる=商店街で火を吹いたりする。その様はギャップという言葉では片付けられないもの=狂気の沙汰=「知覚の扉」の文脈に準えるならば、合法メスカリンだったということでしょう。笑って見てたんですけど。

では、「X」の公式プロフィールから「元気」が消えた(黒歴史として消したいように見えた)or 「元気」が無関係なものになっていったのはいつからだったのか。

1989年水曜深夜時代の「大槻ケンヂオールナイトニッポン」で「元気」の話題をオーケンにふられたTOSHIとYOSHIKIのお二人がそろって苦笑いしていたあの頃。89年1月このあたりかなあと思っています。

89年はクラスの目立つグループの子たちが「BLUE BLOOD」とかエクスタシーレーベル盤「Vanishing Vision」を聞いていました。一方で「イカ天」の放送がRCCテレビでも始まって、インディーズブームが地元の呉にも到来。「X」ではなく「人間椅子」に飛びついた田舎の中学生の見立てでした。