Hiroshima Photography

SONY サイバーショット HX30V でとった広島の写真 ツイなま シンタニの備忘録

サロンシネマ 広島市中区八丁堀 この世界の片隅にの時代 その1

昨年10月20日サロンシネマで「この世界の片隅に」を観ました。この日は先行上映会で、映画の前には監督の片渕須直さんと、すずさん役ののんさんの舞台挨拶がありました。

観客全員が熱心な原作読者で、しかも広島弁ネイティブな地元の人で占められていることに、関西出身ののんさんは圧を感じたようで後ずさりしていましたが、その仕草はすずさんの人柄を連想させました。のんさんの広島弁はお上手でしたよ。いやほんとマジで。

年はかわって先行上映会から4か月が経とうとしています。全国63館で11月12日に公開がスタートした「この世界の片隅に」は、上映館が累計で300を突破したそうです。観客も増える一方。その間ずっと片渕さんの twitter は、映画をご覧になったみなさんの感想やプロモーション行脚の様子、獲得した映画賞など関連ニュースでいっぱいです。そしてそれをファンがリツイートするもんだから、タイムラインは埋めつくされることがしばしば。ツイートが加速度を持って拡散されていく様に、評判が評判を呼ぶとは、あぁこう言うことかと納得したものです。

これからは「In This Corner Of the World」や「En este rincón del mundo」*1のタイトルで海外での上映が始まるとか。メキシコ、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ…etc。国も人種も超えて胸に響くはずよねって、普遍性を信じる一方で、生涯訪れることはなさそうな彼の地にまで、(1)まさか呉が舞台の映画が行くとは…! (2)あの呉がワールドワイドなことになるとは…!(3)「あの呉がねぇ…」となんだかピンと来ないような、すわりが悪いようなそんな気持ちです。

さて、その呉こそがぼくのふるさとなわけでして、昭和50年に生まれ、当時ベッドタウンとして造成が進んでいた焼山の団地で育ち、そして呉三津田高校を卒業するまで過ごしました。両親も呉で、宮原と広。さらにさかのぼれば、旧安芸郡の音戸や倉橋に蒲刈。一家眷属は明治以来の呉市の宅地開発の歴史に呼応するように、世代がかわれば新たに居を求め、そこで家族を育んできました。そんな地縁の親しみから入った「この世界の片隅に」ですから、わが家の血脈を重ねることを抜きにして観ることはできませんでした。

戦後レジームからの脱却を善しとする2017年平成29年の現在。それは詭弁・欺騙でしょうと冷静に見ていますが、昭和は遠くになりにけりとばかり、ぼんやり生きているぼくであっても、戦争の時代とは無縁ではいられない。心のひだに、ぐいぐいと触れて来るわけです。

一般教養として、そして広島県で生まれ育った者として、戦争が残した翳りに自覚が無かったわけではありません。ただ、そういうこととは位相が少し違うのかなと思っています。

累代の墓苑の道すがら、ずらりと並んだ数十基の墓石には、どれを見ても「昭和二十年八月六日」の命日が刻まれていることに気がついたことがあります。だから意識せざるを得なかった「原爆」と、課外授業の一環として平和記念資料館で学んだ「原爆」の違いです。ニュアンスおわかりいただけるでしょうか。

映画で描かれている昭和20年前後の呉を観ながら、ぼくは、ぼくが知っている平成の御世に至る前後10年の呉とを行ったり来たりしている気分でした。

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盆灯籠を持ってお墓参り 呉市音戸町高須 2019年8月13日06時54分ごろ

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呉駅(スマホアプリ 舞台めぐり この世界の片隅に)2016年8月27日15時09分ごろ

昭和19年2月すずさんのお嫁入りで浦野一家は呉へ。呉駅到着の直後に高烏砲台から砲煙があがります(CUT-178)。昭和59年3月ぼくらは三津峰山遊歩道を探検していました。そのゴールは高烏公園、つまりかつての高烏砲台です。砲座は芝に埋まっていますが堡塁は健在。往時の要塞の体を未だ残し、ミリタリー感ありありなんですが、同時にそこは満開の桜越しに音戸の瀬戸を見おろせる名所でもあります。連れだつは坪内小学校の岩上崇くん。ファミコンSG-1000の両方を持っていた子で、海上自衛隊の宮原官舎に住んでいました。官舎の裏から登って遊歩道に合流し、小学3年生の足にはかなりの距離だったのに、桜の開花にはまだ早く残念でした。数日後お父さんの転勤で横須賀へと引っ越す岩上くんに、那須正幹さんの「あやうしズッコケ探険隊」をプレゼントしました。

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宮原官舎から昭和町方向 呉市宮原13丁目 2016年5月20日14時45分ごろ

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海上自衛隊 呉集会所 呉市幸町 眼鏡橋バス停(スマホアプリ 舞台めぐり この世界の片隅に)2016年8月27日16時45分ごろ

昭和19年9月おしろいのすずさんが、周作さんと待ち合わせた呉下士卒集会所(CUT-648)。平成3年9月海上自衛隊呉集会所で待ち合わせたのは、宮原高校の田口くん。昭和中学の同級生で、WINKの「ESPECIALLY FOR YOU」を買って、2人でしみじみニヤニヤしていたものです。市民に開放されていた集会所のボーリング場で、2人だけの三津田・宮原対抗戦を挙行すべく再会。勝負の行方はまるっきり忘れてしまいましたが、ちょっとレトロなレーンで「医学部ゴー!C判定!」と叫びながら田口くんが16ポンドのボールを放っていたのは覚えています。偏差値高い子ってちょっと変わってますよね、ドクタータグチ。

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2016年10月6日15時10分ごろ

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海軍病院 昭和16年1941年夏(大伯母のアルバムより)

大正12年生まれの大伯母は昭和18年まで呉海軍病院に勤める看護婦さんでした。昭和20年6月圓太郎さんが入院した病院です(CUT-1026)。


巡洋艦青葉終焉之地 呉市警固屋5丁目 2016年3月22日

昭和19年12月入湯上陸する水原哲さん(CUT-767)。昭和56年近所の後河内さんのお宅の仏壇には、若い水兵さんの遺影がありました。誰だったんだろう。おばさんに不躾にたずねることが、憚られる雰囲気でした。

キリンレモンでも、トビキリのラムネでも、とにかくジュースを1ケース呉糧配で注文したら景品にくれたコカ・コーラのヨーヨーを、両手に2つ構えて同時に操るおもしろいおばさんだったのですが。

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鍋桟橋跡・待合所跡 2013年7月17日13時09分ごろ こどものころ周辺は遊び場でした。巡洋艦青葉終焉之地の碑は400m南。

昭和20年3月19日灰ヶ峰防空砲台の高角砲が火を吹きます(CUT-881)。平成16年3月かずほちゃんのミニバンで灰ヶ峰をドライブデート。いちゃいちゃバカップルぶりを発揮していた展望台が、まさか砲座だったとは露知らずです。

ぼくにとっての灰ヶ峰は、遠足の目的地であり、その山頂は毎年4月28日に校内総出で高校の創立記念植樹をするところでもあり。その式典の挨拶に立った生徒会長が、プリンセス・プリンセスのダイアモンドをアカペラで披露した、ラブ&ピースの現場だったのです。

昭和20年9月枕崎台風。土砂崩れに巻き込まれて音戸町奥内の曾祖母が亡くなりました。曽祖父と、復員したばかりの祖父は戦後しばらく呉湾の掃海をしていました。

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本通二丁目交差点から灰ヶ峰 2010年8月13日12時16分ごろ

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掃海作業の写真と聞きました。手にしているのは機雷?不発弾? 曽祖父のアルバムより

この世界の片隅に」は、原風景とシナプスに作用する映画。それがぼくの一番の感想です。

舞台としての呉か、アイデンティティーを培われた呉か。その距離の取り方を承知しつつも、映画のシーンが、まるで思い出の引き出しを開けていくかのようでした。

ぼくはすずさんの向こうにいる、たいせつな、忘れ得ぬ人たちを見ていた。そういうことなのです。

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全国公開のカウントダウンに入ったころ、メッセージカードの束が「この世界の片隅に」製作委員会 から届きました。制作支援メンバーズ通信(#57)によると、この送付作業(3374通)には、宮村さんをはじめとする宣伝チーム、スタジオの鈴木さん三宅さん、山本さんで7時間かかったとか。「お友達への宣伝活動にご利用を」の旨の書面が同封されていましたが、す、すみません。お友達すくないんですぅ。ジェラート工房ポーラーベア(広島市中区立町)にお預けしましたので、どうぞご来店の際にお持ちくださいませ。380円でド迫力ボリューム。行列のできる人気店です。

 

 

 

*1:そのほかに「Dans un recoin de ce monde」「Góc khuất của thế giới」「في هذا الركن من العالم」「謝謝你,在世界角落中找到我」など