Hiroshima Photography

SONY サイバーショット HX30V でとった広島の写真 ツイなま シンタニの備忘録

日本ボロ宿紀行ファンにおすすめ 一楽旅館 広島市中区西平塚町 2019年10月14日

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ドラマ「日本ボロ宿紀行」のファンです。ずいぶんなタイトルですが、特定の宿泊施設をけなすものではもちろんありません。その旨は毎回前口上として述べられています。

「ボロ宿」それは決して悪口ではない。歴史的価値のある古い宿から、驚くような安い宿までをひっくるめ、愛情を込めて「ボロ宿」と呼ぶのである。日本ボロ宿紀行 深川麻衣さん演じる主人公 篠宮春子のナレーション

「歴史的価値のある古い宿」と聞いて、一楽旅館(広島市中区西平塚町)が真っ先に思い浮かびました。(以下箇条書きは、一楽旅館ホームページ「一楽旅館について」、毎日新聞 会員限定有料記事(無料公開分)2019年1月22日「一楽旅館 中区の元遊郭 女性の苦悩、分かる人に 戦争がなければここもない 広島」、はじめてWEB 活用事例 2012年7月25日更新「昭和の遊郭のおもかげを残した純和風旅館 一楽旅館 広島県」より)

  • 現在のオーナーは田渕信夫さん
  • 昭和25年 旧満州から引き揚げてきた田渕さんのご両親が創業した
  • 売春防止法が施行された昭和33年まで遊郭として営業した
  • 当時は20代の女性が10人ほどいらっしゃった
  • 昭和33年 旅館として改装した
  • 高度経済成長期には建設作業員の方向けに長期逗留型の宿として賑わった
  • ビジネスホテルが増えて宿泊客の足が遠のいたこともあった
  • 近年はホームページをきっかけに宿泊を決めるお客さまも
  • 現在の建築基準法ではこの場所に建築不可能な木造日本旅館の風情がある


一楽旅館〜直ちゃん 広島市中区西平塚町 2019年10月14日

「ツイなま」で広島第一劇場へおじゃました際*1に一楽旅館のことを知りました。第一劇場の支配人さん曰く「(第一劇場に香盤した)若林美保さん*2が一楽旅館をとても気に入って、写真集用の撮影をされたようだ」とのことでした。若林さんがどんなところに心惹かれたのかとても気になりますが、「一楽旅館」で検索しますと、かつての色里・花街を巡って全国を旅する方々のブログがヒットします。吹き抜けや扇形にくり抜かれた壁などモダンな意匠の写真を掲載されておりましたので、みなさんは遊郭の趣・名残りに歴史的な価値を見出したり、消えゆくものに思いを寄せておられるのかもしれません。

一楽旅館が遊郭だった時代

あき書房(広島市南区皆実町5丁目)が復刻した戦後の広島の古地図(昭和26年と33年の二片)を眺めておりますと、広島平和記念都市建設計画のもとでまちづくりが進む様子が分かります。下柳町・山口町・鈄屋町などの旧町名が目に飛びこんで来ることに時代を感じますが、現在の道路・通りはこの頃に整備されており、今の町並みと重ねることもできます。

ただいま広島の町は駅周辺など再開発の真っ最中でして、スクラップアンドビルドの未来に向いたベクトルと申しましょうか、力強い頼もしさを感じています。この古地図の「廣島」の町にお住まいだった当時の方々も、同じように昭和31年猿猴川に架かる駅前大橋や、昭和34年一楽旅館の近く京橋川東広島橋の工事の様子を見守っていたのでしょうか。

「戦争で父や夫を失い遊郭で働かざるを得なかった女性を理解する人に泊まってほしい」

一楽旅館 中区の元遊郭 女性の苦悩、分かる人に 戦争がなければここもない 広島 毎日新聞 会員限定有料記事(無料公開分)2019年1月22日

二片の古地図の上にやはりあき書房が復刻した昭和14年のものと、米軍が航空機から撮影した原爆投下前後(昭和20年7月25日と9月7日)の空中写真を順番にならべました。そして角川の地名辞典で町の由緒を調べておりますと、センチメンタルやノスタルジアでは片付けられない気持ちになります。

理解を深めるべく参考にした本のタイトルなどを欄外の脚注*3に記しました。

手にとった一冊に昭和50年発行の中公新書があります。大佐古一郎「広島昭和二十年」。これをもとにNHK広島「被爆75年キャンペーン」の企画のひとつ「もし75年前にSNSがあったら? 1945ひろしまタイムライン」はtwitterアカウントを開設し「一郎(ひろしまの新聞記者)@nhk_1945ichiro*4」が2020年3月26日から毎日ツイートしています。新書で読むよりも親しみやすいと思います。アクセスおすすめです。

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大日本職業別明細図 第五九二号 広島県広島市 第三版 東京交通社 昭和14年 あき書房 復刻古地図

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1945・昭和20年 米軍に撮影された日本 空中写真に遺された戦争と空襲の証言 日本地図センター(2015)p58-59、p60

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米軍が撮影した被爆直後の航空写真を後年広島大学が解析。陸軍船舶部隊(暁部隊)が大発動艇(大発)で救護のために京橋川元安川を遡上する様子や、交差点で被爆し立ち往生の路面電車が移動する様子、市内いたるところに救護所が開設されていく様子などが明らかになりました。NHKスペシャル「復興〜ヒロシマ・原子野から立ち上がった人々〜」(2004年8月6日放送)で詳しく紹介されています。NHKアーカイブス番組公開ライブラリーとして、無料視聴できますのでお近くのNHK放送局にお問い合わせください。

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日本商工業別明細図 第八二八号 広島市 東京交通社 昭和26年 あき書房 復刻古地図

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全国都市別商工業案内図之内 No.1013 広島市 東京交通社 昭和33年 あき書房 復刻古地図

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西平塚町と周辺の町について角川日本地名大辞典を引きました。以下引用。

西平塚町 にしひらつかちょう 昭和40年〜現在の町名。はじめ広島市、昭和55年からは中区の町名。もとは広島市平塚町・弥生町・田中町の各一部。 角川日本地名大辞典 34 広島県, p614-615, 昭和62年

平塚町 ひらつかちょう 明治15年〜昭和40年の町名。はじめ広島区、明治22年からは広島市の町名。もとは広島区竹屋村の一部。京橋川西岸、対岸は比治山。町名は竹屋村内のち名に由来し、広島開府以前の五箇荘のうち平塚荘に比定される。京橋川対岸とを結んでいた比治山渡しの地に有料橋の鶴見橋が架橋、同29年まで渡船賃を徴集。東遊郭日清戦争後の明治28年当町・下柳町薬研堀にまたがる地域に設けられ、昭和8年にはこの3町から分離し、弥生町となった。第2次大戦後鶴見橋東詰から新己斐橋の間に平和大通を建設。また駅前通りが中央部を斜めに貫通し、町は二分された。大正6年の戸数1,297・人口4,513、昭和26年の世帯数665・人口2,242。同40年東平塚町・西平塚町・銀山町・田中町・弥生町・鶴見町・宝町となる。 角川日本地名大辞典 34 広島県, p684, 昭和62年

弥生町 やよいちょう 昭和8年〜現在の町名。はじめ広島市、昭和55年からは中区の町名。もとは広島市下柳町・平塚町・薬研堀の各一部。京橋川の西、北は下柳町、南は平塚町。町名は、色街ならば華美で女性的な名前が適当であるとして名付けられたという(町名の沿革)。世帯数・人口は、昭和11年90・318、同26年122・564。同40年西平塚町・薬研堀となり、平塚町の一部を編入。 角川日本地名大辞典 34 広島県, p846, 昭和62年

薬研堀 やげんぼり 江戸期〜現在の町名。江戸期は広島城下の武家屋敷地。広島城の南東、京橋川と平田屋川(竹屋川)の間。西国街道の通る銀山町・鈄屋(ちぎや)町から南方の田中屋敷に至る筋。町名の由来は、通りに沿う水道の名による(旧県史)。地内には曹洞宗禅昌寺(昭和40年東区戸坂町へ移転)があり、「知新集」では「禅昌寺の土地もと旗町といひしか町組寺社本末帖にハ旗町禅昌寺」とあり、「広島独案内」には「平塚薬研堀とあり、平塚のうちと心得たる事もありしか」と記す。明治11年広島区、同22年広島市の町名となる。明治28年下柳町・平塚町および当町の3町にまたがって東遊郭が置かれ、貸座敷数46戸、娼妓数百数十人であった(明治33年の広島繁昌記)。昭和2年新天地に接続して当地から流川筋にかけて東新天地が誕生、活動写真館・カフェー・遊技場・おでんやを集めて栄えた(新修広島市史)。大正6年の戸数395・人口1,358、昭和26年の世帯数226・人口789。一部が昭和8年弥生町、同40年流川町・堀川町となり、弥生町・下流川町の各一部を編入。同55年中区の町名となる。 角川日本地名大辞典 34 広島県, p825, 昭和62年

下柳町 しもやなぎちょう 明治15年〜昭和40年の町名。はじめ広島区、明治22年からは広島市の町名。もとは広島区柳町・竹屋村の各一部。京橋川西岸、西は石見屋町・山口町に隣接。対岸土手町との間には明治11年架橋の柳橋があり、段原方面から市中心部への経路としてもにぎわった。同14年猿猴川東岸の大須賀村から移転した明神座はその後拡張され、市西部の寿座と並ぶ歌舞伎定小屋となった。日清戦争後の好況に伴い、西遊郭に擬して東遊郭が当町から平塚・薬研堀にまたがって設立。当時の東遊郭に寄席の柳座、柳橋西詰には浪花節(うかれ節)専門の旭座も設立、一帯は歓楽街を形成した。昭和8年遊郭の地は弥生町となる。大正6年の戸数402・人口1,816、昭和26年の世帯数245・人口98。同40年橋本町・銀山町となる。

日本ボロ宿紀行の撮影をぜひ一楽旅館で

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一楽旅館は公楽園(新潟県燕市熊森)ほどの外観のインパクトはありませんが、ドラマ続編の際には春子さんと龍二さん、そしてドラマ原案の上明戸聡さんに泊まってほしいなあと思っています*5

ドラマはかつての大ヒット曲「旅人*6」のCD在庫を抱えたまま「みよし旅館(足柄下郡真鶴町)」で第1シーズンを終えました。

  • 龍二さんが広島第一劇場で歌う姿を見たい
  • 界隈で最高齢・大正生まれのママが切り盛りする喫茶店*7など、春子さん的「映えるスポット」がたくさん。春子さんが喜ぶ姿が見たい
  • 上明戸聡さん「日本ボロ宿紀行」に一楽旅館の記事がない

「ある人と約束したんですよ。今あるCDを売り切るって。大切な人の娘さんで、もちろんその子も大切で……自分の娘って言うんですかねえ」第10話 埼玉県寄居町 山崎屋旅館 桜庭隆二がデータ配信を善しとせずCD販売にこだわる理由を語るシーンより

CD完売を目指す二人の地方営業回り・ボロ宿巡りの旅。桜庭龍二・魂のステージを広島で見たいです。

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大正生まれのママが切り盛りする喫茶コロナ 広島市中区銀山町

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広島第一劇場 ステージ 2011年11月5日

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キャバレーロンドン広島市中区流川町

wheelchair.hatenablog.com

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直ちゃん 広島市中区西平塚町3-6

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初ちゃん 広島市中区東平塚町9-12 西平塚町・直ちゃんの兄弟店だとか

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初ちゃん名物ステーキ 「時価」とメニューにありますので最初はおっかなびっくりで注文しました

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とんこつしょうゆの正統広島ラーメン

*1:ついツイ生だし広島ラジオ。2011年11月8日 広島第一劇場にアカデミックにアプローチ with かぜぱん https://youtu.be/BLc4oPNNBls

*2:若林美保さんのtwitterプロフィールによりますと「多機能踊り子、職業わかみほ。女優・モデル・マルチパフォーマーhttps://twitter.com/wakamiho

*3:原爆が消した廣島 田邊雅章 文藝春秋(2010)、昭和の戦争 日記で読む戦前日本 井上寿一 講談社現代新書(2016)、田中小実昌エッセイ・コレクション(6)自伝 ちくま文庫(2003)、現代史を学ぶ 渓内謙 岩波新書(1995)、新装版 戦中派不戦日記 山田風太郎 講談社文庫(2002)、私の「戦後70年談話」岩波書店編集部(2015)、昭和20年8月6日 広島軍司令部壊滅 宍戸幸輔 読売新聞社(1991)、広島昭和二十年 大佐古一郎 中公新書(1975)、キノコ雲から這い出した猫 江戸家猫八 中央公論社(1995)、兵隊ぐらしとピカドン 吾輩は猫ではない2 江戸家猫八 ポプラ社(1983)、現代思想 2015年8月号 特集「戦後70年」青土社、原爆で死んだ米兵秘史 森重昭 潮書房光人新社(2016)、ヒロシマの九日間 池田真徳 文芸社(2006)、原爆に夫を奪われて 広島の農婦たちの証言 神田三亀男 岩波新書(1982)、原爆と検閲 アメリカ人記者たちが見た広島・長崎 繁沢敦子 中公新書(2010)、原爆市長 復刻版 浜井信三 シフトプロジェクト(2011)、ヒロシマ 1949 歩きだした日 那須正幹 ポプラ文庫(2015)、原爆の絵 ヒロシマの記憶 NHK広島放送局 日本放送出版協会(2003)、原爆投下・10秒の衝撃 NHK広島「核平和」プロジェクト日本放送出版協会(1999)、社史が語る原爆・ヒロシマ しんぶん赤旗 中国四国総局 新日本出版社(2003)、チンチン電車と女学生 1945年8月6日・ヒロシマ 堀川惠子 小笠原信之 講談社文庫(2015)、戦禍に生きた演劇人たち 演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇 堀川惠子 講談社文庫(2019)、櫻隊全滅 ある劇団の原爆殉難記 江津萩江 未来社(1980)、原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年 堀川惠子 文春文庫(2018)、原爆被爆前後 広島市内電車運転の推移 長船友則 あき書房(2015)、広島の路面電車100年〜今も昔も広島の街を路面電車が走っていく 広島市郷土資料館(2012)、この世界の片隅で 山代巴 岩波新書(1965)、くすのきの記憶 地域探訪くすのきの会(2017)、夏の花 原民喜和文庫(2010)、原民喜 死と愛と孤独の肖像 岩波新書(2018)、屍の街 大田洋子 平和文庫(2010)、ヒロシマ 消えたかぞく 指田和 鈴木六郎 ポプラ社(2019)、敗戦と暮らし 占領期生活世相誌資料 山本武利 永井良和 新曜社(2014)、原爆と広島大学「生死の火」学術編 広島大学原爆死没者慰霊行事委員会 広島大学出版会(2012)、原爆体験記 広島市原爆体験記刊行会 朝日選書(1975)、私の「戦後民主主義岩波書店編集部(2016)、日本人はなぜ戦争へと向かったのか メディアと民衆・指導者編 NHKスペシャル取材班 新潮文庫(2015)、合本 この国のかたち 司馬遼太郎 文春e-Books(2016)、昭和史 1945 半藤一利 平凡社ライブラリー(2009)、昭和市史戦後篇 半藤一利 平凡社ライブラリー(2009)、戦前昭和の社会 1926 - 1945 井上寿一 講談社現代新書(2011)、教養としての「昭和史」集中講義 教科書では語られていない現代への教訓 井上寿一 SB新書(2016)、Newsweek 日本版 2015年8/11・18合併号「戦後の克服」CCCメディアハウス、保守と大東亜戦争 中島岳志 集英社文庫(2018)、保守と立憲 世界によって私が変えられないために 中島岳志 スタンド・ブックス(2018)、現代史を学ぶ 渓内謙 岩波新書(1995)、ヒロシマをさがそう 山下和也 叶真幹 井手三千勇 文明の庫双書 西田書店(2006)、別冊映画秘宝実録やくざ映画大全 鈴木義昭 飯島洋一 千浦遼 二階堂卓也 藤木TDC モルモット吉田 小川晋 神坂弘 佐藤洋笑 杉作J太郎 鈴木智彦 関根忠郎 田上順唯 多田遠志 洋泉社MOOK 別冊映画秘宝(2013)、呪いの言葉の解きかた 上西充子 晶文社(2019)

*4:https://twitter.com/nhk_1945ichiro

*5:ブログ「日本ボロ宿紀行」に掲載されている「広島の宿」は、ホテル清風館・徳森旅館・玉屋旅館(豊田郡大崎上島町)佐藤旅館(尾道市西御所町)ふろや旅館(広島市安佐北区可部)。一楽旅館の記事はありませんでした。

*6:劇中歌。桜庭龍二が1999年に放ったとされる大ヒット曲

*7:大正生まれのママが切り盛りする喫茶店=喫茶コロナ。広島市中区銀山町12-22。昭和38年創業。ママの戸田冨美子さんは98歳。