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広島駅 その1 西部警察と昭和57年の広島

西部警察 全国縦断ロケコレクションシリーズ 広島 岡山 香川篇 ポニーキャニオン

「広島駅の地下自由通路はいつからあるんでしょうか。」

この回答を探すも、目星をつけてあたった資料では、ことごとく中年のノスタルジーへと来着。興味関心があっちこっち寄り道を繰り返した挙げ句に、答えにはたどり着けなかったよ、チャンチャン。というレポートです。

西部警察part2 広島市街大パニック 広島駅地下自由通路 岡本真 昭和57年7月ロケ

西部警察part2 広島市街大パニック 広島駅地下自由通路 ト書き

昭和57年、深夜の広島駅の地下自由通路(広島市南区松原町)で、拳銃をつかった殺人事件が発生。左胸を撃ち抜かれた男性の遺体が発見されました。

あ、これは西部警察広島市街大パニック」*1の話です。どうぞご心配なく。

遺体で見つかった男性は、市内在住で職業不詳の井上ケイイチさん。井上さんの自宅からは、爆発物を違法に製造した形跡が確認されました。関連を調べる広島県警は、指定暴力団銀竜会の構成員、土倉純司37歳を殺人の容疑で全国に指名手配。行方を追っています。土倉容疑者は、昨年殺害された銀竜会桜井会長の殺人容疑の他、3日前に都内で発生した現金輸送車襲撃事件の関与が疑われています。この襲撃事件では、3人の警備員が犠牲となり、現金5000万円が強奪されました。

JR広島駅 地下自由通路 広島市南区松原町

広島駅 地下自由通路 2014年12月9日*2

国鉄ターミナル駅で起きた発砲事件ながら、深夜で人通りが少なく、凶行に巻き込まれた市民がなかったことは不幸中の幸い。胸をなでおろしたわけですが、やはり気になってしかたがないのは、ピッカピカでSFちっくな近未来観を放っている地下自由通路でしょう。 

床から天井までピッカピカ。しかし、それも今は昔です。ちょっとくたびれた地下自由通路を歩けば、35年の経過を思わずにはいられません。

ピッカピカだった撮影当時(昭和57年7月)のタイミングで、地下自由通路が新設されたのでしょうか。塗り替え工事があって、真新しく見えているのでしょうか。それとも、単に照明の具合でピッカピカに見えているだけなのでしょうか。

という訳で、冒頭の質問です。広島駅の地下自由通路はいつからあるんでしょうか。

切符や入場券を持たずとも、広島駅の南口〜新幹線口(北口)をフリーパスの歩行者専用経路が地下自由通路です。広島駅の地下の通路の歴史は古く、昭和20年8月6日の被爆証言*3の中にも見つけることができますが、それはどうやら在来線ホームと階段で上り下りできる地下連絡通路*4のようで、地下自由通路ではありません。ちなみに、この2本は平行に並んでいて、それぞれ南口と新幹線口をつないでいます。

駅の構内図の変遷をまとめたものでもあれば一発解決なんですが、そんなに都合よくはいかないものです。艱難辛苦をいくとしつき。現在過去未来、迷い道くねくね。まるで喜劇じゃないの。そんなレポートになりそうですが、お時間許せばどうぞおつきあいください。つづく。

*1:西部警察 PART-Ⅱ 第18話「広島市街大パニック!!」昭和57年10月17日放送

*2:2017年5月28日に南北自由通路が開通したことで、地下自由通路を通る人はさっぱり減りました。https://flic.kr/p/UuUmWw

*3:国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 https://flic.kr/p/CambN4 体験記閲覧室や、ヒロシマアーカイブ(HiroshimaARchive)など。広島駅で被爆した佐藤法行さん。高信寺(広島市中区河原町)住職。

*4:映画「この世界の片隅に」には、呉線3番ホームから地下連絡通路への階段が描かれています https://flic.kr/p/YAbyAL

早川文司さんの訃報が届きました

サンフレッチェ広島 奇跡のイレブン 早川文司 イースト・プレス 1994年7月

昨日早川文司さんの訃報が届きました。早川さんに初めてお目にかかったのは、2000年Jリーグ開幕のころでした。「広島サッカー向上委員会っていう番組始めます。4月2日からRCCラジオです。ぼくは気付というか下請けというか、出入りの業者です。」そんな旨のご挨拶をしましたので、ビッグアーチなど取材先では「よぉー、向上委員会」と声をかけていただきました。

「よぉー、向上委員会。行こう。」連れ立ってのタバコが一番の思い出です。早川さん、銘柄は何でしたっけ。

早川さん、おうかがいしたいことが、まだたくさんあったんですよ。

ちえちゃんと慢性活動性EBウイルス感染症

松来未祐さんと交流のあった声優のみなさんが、慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)の啓発や、骨髄バンクのドナー登録を呼びかける催し*1を昨年ひらいたと聞きました。

2012年11月30日午前2時17分に息を引き取ったちえちゃんも、CAEBVの患者さんでした。治療のためにちえちゃんは休職し、住んでいる町から遠く離れての入院生活を余儀なくされました。専門医を求めて、家族やふるさとと離れなければいけないほど珍しい病気。病床からメールやSkypeで教えてくれたのはちえちゃんです。

ちえちゃんは、まりちゃんが配信するツイキャスの常連で、Skypeやメールをよく送ってくれました。元気になって迎える来年の誕生日には、家族にあらためてお礼を伝えること、勤め先のこと、ソナーポケットのおすすめの楽曲、地元のおいしいランチ、東京ディズニーランドのアトラクション。車いすが手放せないまりちゃんに、「あたしがしっかりサポートするから、一緒にディズニーランド行くときはおまかせあれ」と胸を張る、頼もしい女の子でした。

とにかく慢性活動性EBウイルスについてみんなに知ってほしいと、Twitterの投稿にも熱心で、実家のお姉さんが用意してくれたウィッグを写真に収めたり、薬の副作用で出血が止まらずたいへんだったこと、少しだけ食べられるようになったお昼ごはん、高熱にうなされたことなど、入院生活を伝えるツイートは、天に召される前日までつづきました。

「まれな病気だからこそ、知ってもらうことで研究が進んだり、早期発見ができたり、保険が適用されたり、近所の病院で診てもらえたりするから、あたしだけの問題じゃないの。」ちえちゃんは、つらく苦しい治療とは別のところでも、立ち向かっていたんですね。

深夜から明け方の時間に短いメッセージが届くこともありました。「人間は死んだらどこに行くの?」「明日の朝が来ない気がして眠れない」「あたしが死んでも思いださなくていいから忘れないでほしいの。ここにちゃんといたこと」「あたしの人生はなんのため」。ちえちゃんは受け取った相手の気持ちを想像したはずです。それを押して、送信せざるを得なかった恐怖や痛みを想像しています。

そう、想像しているのです。

*1:松来未祐さん愛悼イベント「サンキュー!未祐ちゃん」千代田区北の丸公園 科学技術館 2016年9月11日

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